1

カートが空です

Laying Stones by Munemasa Takahashi

石をつむ | 高橋宗正

Sold Out


売り切れ (特装版のみご用意があります)

石をつむ | 高橋宗正

210 × 150 mm | 80頁 | 和綴じ(封筒入り)
アートディレクション: 塚原敬史(trimdesign)

「石をつむ」は高橋宗正の友人に捧げられた作品である。

高橋宗正は写真家としてのキャリアが始まってから、写真にしかできない表現を追求してきた。
最初の写真集『スカイフィッシュ』が出版されて間もなく、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、東北を中心に多くの被害が出た。その大惨事を目の前にした高橋は「写真は何もできない」と感じたが、津波で流され、土の中から見つかった数多くの写真たちと出会う。それはいわゆる家族写真だった。それらの写真を洗浄し返却をするというプロジェクト「Salvage Memory」に従事し、また、高橋は返却が難しいくらいに損傷の激しい写真たちを展示するという「LOST&FOUND PROJECT」を立ち上げ、アメリカやヨーロッパなど世界各地を旅してきた。

しかし、このプロジェクトを共にしてきた友人が道半ばのところで亡くなった。高橋はこのプロジェクトの間、作品制作にあまり手をつけれずにいたが、これをきっかけに撮影を始めた。

日本には、親より先に死んだ子供はあの世の入り口の河原で、石を積んでは鬼に崩されるのを繰り返す苦を受けさせられる、という俗信がある。そのため子供を失った親は、作業を少しでも手伝うため石を積むのだ。

高橋は、写真という手段でもって、友人を見送り、記憶にとどめた。「石をつむ」ことで、死に暗い物語を付すのではなく、希望を託した。高橋は、友人に手紙を書くようにこの本を作ったのだ。

ーーー
石をつむ

親より先に死んだ子供はあの世の入り口の河原で、石を積んでは鬼に崩されるのを繰り返す苦を受けさせられる、という俗信が日本にはある。
そのため子供を失った親は、作業を少しでも手伝うため石を積む。

東京の西の外れにある洞窟の中で積み石を見たとき、ぼくはその話を思い出した。
それというのも、その少し前に友達が自殺してしまっていたからだった。
死んだ人のために石を積む、というのは無茶苦茶なことのように思っていた。けれどその石を見て、去っていってしまった人に対してできることは、本当に何もないんだと実感した。

近しい人間が死んでしまった場合、それを受け入れるために人は何らかの儀式を必要とする。それが葬式では十分でないとき、何が必要なのかは自分で見つけないといけない。

そしてぼくはぼくの石を積もうと決め、彼が最後の場所に選んだ森に入った。
日の出前に辿り着いたその森は大きく、どこがその場所なんだか見当もつかなかったけれど、どこかにいる彼に会いに行くような気持ちで歩きまわった。自分だったらこの森のどこを選ぶだろうかということも考えた。
とくに何も起こらなかった、ぼくの中で何かが変わったということもなかった。

それから、いつか写真にとろうと思って集めておいたものを撮影して一つずつ手放していった。石を積もうと決めてから花や植物や光や体、やがて終わり違う形でまた生まれるものを撮るようになった。そして桜の季節がやってきた。
しかしこの行為に終わりはくるのだろうか、区切りを付けていいと思えるときはくるのだろうかと思うようにもなっていった。

そんなときスペインに行く機会があり、向こうで友達になった人の話を聞いて「世界の終わり」と呼ばれる場所に行くことになった。
その日は天気もよく海には太陽がキラキラと反射していて、巡礼の最終地点として有名なその場所には終わりというよりは始まりという言葉が似合うように思えた。
そして、そこにも積み石があった。

遠く離れた二つの場所で、同じような行為に全く別の意味が込められているように見えた。一方には暗い背景が、もう一方には明るい背景が与えられていた。

そして、死んでしまった人のためにできることが二つだけあることに気がついた。一つは見送ること、一つは忘れないでいること。
もう会うことも話すこともできないからこそ、そこに石を積むような暗い物語を与えるのではなく、旅立った先が明るい場所であってほしいと願うことこそが、ぼくらにとって大切なのではないだろうか。

この作品は、ぼくの大切な友人である星さんに捧ぐ。

高橋宗正